糺の森コラムColumn

Vol.

京都府市民の森 憩いの自然「糺の森」

 

私と糺の森財団とのかかわりは、「里山」を提唱したことで有名な元京都府立大学学長の四手井綱英博士とのご縁が始まりでした。森林生態学の先駆者である博士は糺の森財団の学術顧問の立場から、糺の森を府市民の森を代表する森として、その保存に尽力されていました。当時、京都府知事であった私は、神社仏閣をはじめとする文化財を内包する山紫水明の都は、京都だけのものではなく全国民にとってかけがえのない千年の都という思いから、「京都府緑と文化の基金」を創設しました。幸いにして、当時は財政状態も良かったこともあり、全国最大規模の百億円の基金を創設することができ、その第一号に「糺の森の保全整備事業」への助成を致しました。百万都市である京都の市街地に奇跡的に残され、神の森として信仰の対象となるとともに、府市民憩いの森として後世に引き継ぐべき森と判断されたからです。そのころの糺の森は、地下水位の低下から、瀬見の小川や奈良の小川の水は枯れ、森の乾燥化が問題になっていました。平成二年度にはじまった「糺の森の保全整備事業」によって、地下水利用のために井戸を掘削し、失われていたせせらぎは旧に復しました。また土壌の改良、樹木の調査や保護、また発掘調査を通じて古代の祭祀遺構も発見されました。以降、糺の森の保全整備事業は国庫補助事業として今日まで継続し、平安期流路の復元や、神宮寺の発掘調査、台風被害の復興などを含め、糺の森の保存と活用に大きく貢献しています。

さて、京都府や京都市の条例の前文などには、「京都は豊かな自然に恵まれており」とか「山紫水明と形容される優れた自然風景の中で」などと記されています。実際に比叡山に登り京都盆地を眺めてみると、たしかに右手に北山、手前に東山、奥に西山と三方を緑豊かな山に囲まれ、南に開いた古代都城制の立地として絶好の地形をしていることがよくわかります。ただ、緑地という観点で見ていくと、京都御所と二条城、そして鴨川と糺の森くらいしか目立った緑地がないことに改めて気付かされます。江戸時代の京都御所や二条城の地図をみれば、屋敷や町屋で埋め尽くされており、現在のような緑はもっと少なかったはずです。大都市京都にあって、平野部は開発される運命にありました。そのような中、糺の森が森として存在し続けたのは、平安京の守護神の鎮まれる社としての信仰の聖地であったからにほかなりません。

京都に住むようになってから幾度か住居をかえましたが、いずれも左京区で糺の森の近くに住んでいたこともあって、初詣など折に触れて下鴨神社を参拝しています。以前に「胸張りて 吸う息すがし 神の森」との句を詠んだことがありますが、まっすぐに伸びる参道とそれを覆う樹林、遠くに見え隠れする朱の鳥居を望んで糺の森に足を踏み入れると、いつも気持ちが落ち着き、気が満ちてくることが実感できます。人間は森から出たサルだ、といわれていますが、この神域である森に入ると古からの血の記憶というか、血に潜む太古の記憶が呼び覚まされるような気持がするのは私だけではないと思います。

ところで、下鴨神社に関係する歴史上の人物に、三大随筆の一つ『方丈記』を著した鴨長明という人がいます。平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた長明は下鴨神社の神職の家に生まれ、新古今和歌集などの勅撰集に和歌が入集されるなど、歌人として後鳥羽院に寵愛されました。長明が生きた十二世紀末から十三世紀初頭は、源平合戦という内乱を経て東国で鎌倉幕府が樹立された激動の時代で、『方丈記』には大火災や竜巻、飢饉や大地震など多くの天変地異があったことが、ルポルタージュともいえる記述をもってなされています。中でも養和元年(一一八一)からそのあくる年にかけて起きた養和の飢饉については、「次の年には飢饉から立ち直るだろうと思っていると、そればかりか疫病まで加わって、程度がよりいっそうひどくなった、」(※1)とあるように、京の都を疫病が蔓延し、四万人以上の死者があったとも書かれています。

疫病はいつの時代も人々を悩ませますが、古来よりわが国では、人智の及ばない災害をかしこきものの仕業として、その禍事(まがごと)を鎮め退けるべく神に祈りを捧げてきました。そして自然の大きな力を神と崇め、祭りを執り行ってきました。今、糺の森に鎮まる神々に疫病の鎮静化を祈り、先人の営みを顧みて原初の姿に学ぶことは意味があろうと思います。世界遺産でもある糺の森の存在は、人と自然が共生することのできる証であり、そしてその歴史と文化がしっかりと現代に定着していること、それらを含め京都だけでなく日本全国、いや世界に誇るべく大きな宝であると確信しています。

 

 

※1「明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まさざまにあとかたなし」『方丈記』

 

糺の森財団理事 荒巻禎一

令和3年3月31日

 

お詫び

本来71号発行後に更新するべきものをでございました。

更新が遅れましたことお詫び申し上げます。

糺の森財団事務局

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