糺の森コラムColumn

Vol.

吉田博宣先生を偲ぶ

令和4年9月20日、吉田博宣先生がお亡くなりになりました。心より、哀悼の意を表し、ご冥福をお祈りします。

私が先生の訃報を知ったのは、その翌日、つくば国際会議場にかかってきた電話でした。自然環境の保全再生の学術発展をミッションとする、3つの学会の合同大会の初日。吉田先生も平成9~11年に学会長を務められた日本緑化工学会が幹事学会でした。先生の8年後に学会長を引き継ぎ、京大の先生の研究室も引き継いだ私にとって、その電話は何か運命的にも思えました。

公私ともにお世話になった吉田先生です。専門分野では、特に風景、景観の見方を教えていただきました。吉田先生の先代の中村一先生が教授の時代でした。定期的に研究室で都市景観に関する研究会を開催して、その議論を京都新聞に連載。その後、『京の原風景』(学芸出版)として出版する機会があったのです。研究室先輩の吉村元男氏が京都新聞社の記者とともに京大の造園学研究室に持ち込まれた企画でした。当時の権威の先生方と新進の研究者だった吉田先生に加えて、京都芸術短期大学に赴任したての私も参加の機会を得て、景観を人間とともにトータルに捉える視点を教えていただく機会となったのです。

吉田先生は、自然や歴史のみならず現代の地域の人々と水と緑の景観の関わりの意義を、松ヶ崎の前川や、宇治に小幡池を例に議論を展開され、景観をトータルに考える眼差しを教えていただきました。

この頃に、糺の森についても吉田先生から大事な示唆を賜りました。江戸時代には泉川の川辺に商人が涼床をかまえ、みたらし団子など、酒食を提供して賑わったことを示す文献(図参照)だけでなく、先生の子供の頃には、糺の森はササを蹴立てて走り回り、その当時まだ水を湛えた池にじゃぶじゃぶ入る遊び場だった体験をもとに、森の機能を論じられました。四手井綱英先生のご指導のもと、吉田先生と私も参加した『下鴨神社 糺の森』(ナカニシヤ出版)でも、江戸時代から京の町を特徴づけた「町の森」の視点から考える機会を与えていただきました。今どきの言葉で言えば、森林の文化的サービスの視点です。

また、先生のご研究の中では、景観評価は長期的視点から行う必要があるという重要な視点を実証されたことが特筆されます。先生は高度経済成長のなか、土地造成で傷ついた斜面の緑化研究をリードしていた京大研究グループの主要メンバーとして、京都東山ドライブウェイの斜面緑化の先駆的な実験を長年月かけて評価されました。

普通なら、播種した芝草がよく茂る方法が一番、ということで終わるのです。ところが先生は、緑化当初に外来の芝草が繁茂して良好な緑景観となっていた試験区よりも、短命な芝草が速やかに衰退して不成績地に見えても、その後本来の在来の植生にスムーズに推移する試験区の方が、長期的に見れば美しく、豊かな植生となることを示されたのです。

こうした、景観評価の長期的視点やトータルな視点こそ、我々が継承すべき、先生の遺産かと思います。大木が倒れることは悲しいことですが、次世代の多様性と活力を生む源泉でもあります。倒木は多様な生物群集の生息場所ともなります。森の保全と継承は、文化的サービスとともに、長期的視点から現実的な解を探っていく必要があるのです。

先生の社会的貢献も多大です。糺の森の保全をはじめ、広く日本各地の史跡や名勝の保存と整備の指導の功績などで、瑞鳳小綬章を叙勲されました。また、私が現在理事長を務める、公益財団法人京都市都市緑化協会も、協会創設以来、理事・評議員としてご指導を賜ったことも感謝申し上げ、先生から頂いた重要な視点を継承する決意を述べて結びと致します。安らかにお眠り下さい。

 

森本幸裕

京都大学名誉教授/公益財団法人 京都市都市緑化協会理事長

 

 

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