糺の森コラムColumn

Vol.5

都市の原風景

私は中世都市史の研究者なのですが、しばしば時代の枠を超えて都市が成立する前の土地の状況、いわば都市の原風景を想像することがあります。那覇市の原点である東シナ海に浮かぶ小さなサンゴ礁の島とか、札幌市の母胎というべき札幌原野の景観(北海道大学の植物園のなかに残る?)といったことです。

京都の原風景については二〇年ほど前、「大阪湾から海水が入ってきていた太古の時代には、孤立した丘陵である船岡山や双ヶ丘、神楽岡は海上に浮かぶ島であったようである。いかにも神仙思想の三神仙島を思い起こさせるイメージであり、始原的・幻想的な風景として興味深い」と記しました。そして平安京の選地と深くかかわるそれらの山を「平安京三山」とよび、都市と自然のかかわりを考え、今も興味を持ち続けています。

糺の森にも、京都という都市の原風景への思いを強く刺激するものが潜んでいるようです。糺の森の植生については、近年、詳細な調査が行われ、また文献史料や古絵図などを活用した景観変遷の研究も積み重ねられてきています。私はもちろん門外漢ですが、興味にあわせて成果を拾いあげてみますと、①現在、多くを占めるクスノキは植栽されたものであること、②ムクノキやエノキ、ケヤキなどのニレ科の落葉広葉樹が本来的な樹種であること、③それらは河畔林の特徴を示すこと、④糺の森の景観変化は、自然災害からの復興も含め、平安京以降の都市生活の変化を映し出していること、などがあります。加茂川と高野川の出合うところ、そして平安京・京都の周縁という固有の地理的環境によって、京都盆地の原植生であったとされる常緑広葉樹林とはことなる特色がもたらされたのでしょう。

大切なことは、もっとも早く市街化した平安京北郊に近い糺の森が、ずっと森であり続けたことです。一条以北の地域には、禁野である北野や紫野、いくつもの原野、そして供御のために果樹や疏菜を栽培する広大な園池(京北園)などがありました。梨・桃・柑・柿などの果樹が植えられた人工的な京北園に対して、おそらく禁野などは平安京以前の自然景観を残していたにちがいありません。しかしながら、先述のように北郊の市街地開発によって北野や紫野なども姿を消し、京北園もまた「桃園」の地名のみが伝わっているだけです。

平安京のごく近く、しかも都市発展に呑み込まれた地域のなかに、その原風景をしのぶことができる森があることはじつに「有り難い」ことと思います。

 

(京都大学名誉教授・花園大学教授 髙橋 康夫)

平成26年3月31日

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