Vol.7
「半木の森」と「糺の森」と『連理の枝』と
賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)のほとんど中間点に「半木(なからぎ)神社」が鎮座している。
上賀茂神社の境外末社である「半木(なからぎ)神社」は、山城名勝志(大島武好, 1705年(宝永2))に「流木(ながれぎ)神社」として由来とともに掲載されているから、すでに江戸時代には存在していたことになる。
京都府立植物園内にある「半木神社」を取り囲む「半木の森」は、約5,500㎡と決して広くはないが、植物園誌(昭和34年、京都府企画管理部)によれば、「下鴨の地に残された唯一の自然林でこの中央に流木神社があるが…」とある。京都の市街の平坦地にある自然林で、山城盆地の自然植生をうかがい知ることのできる貴重な空間なのだが、実のところその実態はよくわかっていなかった。
最近の卒業論文での調査・解析の結果、高層木のムクノキ、エノキは胸高直径(地表面から1.2mの位置における樹木の直径)60cmを超える大径木が数本存在するが、次世代を担う同種の小径個体が少ない、しかし、枯損などで生じたギャップ跡には、同種の稚樹がかなりの高密度で分布していることが確認できたが一方、シラカシ、トベラ、トウネズミモチなどの常緑樹が異常とも思えるほどの早さで成長している、などがわかり、現時点では世代交代の若返りが見られないことに大いなる危機感を覚えた。
植物園には、山城盆地の自然植生は後世に残さなければならない義務があり、それが出来るのは公的機関である植物園だけである。そのためにはムクノキ、エノキなど原植生後継稚樹の成長を阻害する常緑樹を強制伐採することもいとわず実践してほしい。京都の自然遺産を守るために必要な措置である、などと提言した。
「半木の森」がまだ一般的に周知されていないことを理解するものの、私としては、その貴重さについて率先して普及啓発していかないと、と感じている。
さて「糺の森」、この森がいかに貴重な自然であるかは、すでに多くの研究者が多角的に論じているところであるが、森林構造のゆっくりではあるが日々動いている中味について、「半木の森」の実態と実によく似ていると、参道を歩くたびに感じる。
森林を支える最も大切な地下部の根の分布実態を見たいと思っていたが、神宮寺発掘調査に際し、ついに観察することができた。
地上部の空間における光獲得のための枝張り競争、地上部のとてつもなく重い樹体を保持するために必要な地下部根系の、特に横に走る根張り競争、これらの長期間にわたる樹木同士のバトルの結果、自然は維持されている。
貴重な自然を守ることに対して世間のすべては総論賛成だが、その自然を維持する関係者の苦労や努力は意外と一般に知られていない。
動きのゆるい自然の営みの実はすばらしい驚異について、世間的合意が得られるよう打って出ないと、と発掘現場が教えてくれた。
さて、話題を変えて『連理の枝』。
唐の詩人白居易(772-846)の、玄宗皇帝と楊貴妃との愛を詠った「長恨歌」に『天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝とならん』に登場する有名な一節であるが、伝説上の樹木とされている。しかし、この『連理の枝』が両神社に存在することを知って、これは偶然ではなく、神社があるが故の必然のような気がするのはひいき目に見る私だけだろうか、と思う。
「半木神社」のすぐ東にあって、モミの主幹にムクノキの枝が高さ約3.5mの位置で完全密着、これを私は『真正連理の枝』と呼んでいる。モミは常緑性の針葉樹、エノキは落葉性の広葉樹、正に男と女。
「賀茂御祖神社」楼門の手前左手(西側)、縁結びの神として知られる「相生社」にあるのが『連理の賢木』。高さ約2mの位置で一本の幹が寄り添うようにもう一本の幹に完全密着。ここにある三本はシリブカガシという常緑性の広葉樹。日本でドングリのなる種類としては唯一秋に花が咲く珍しい樹種で、開花・受粉から1年かかってドングリは完熟する。秋になって落ちたドングリのお尻を是非とも観察されたい。噴火口ほどではないがややある凹みが見て取れ、これが和名・シリブカガシの由来(尻深樫)となっている。もうひとつの楽しみは、ドングリの黒っぽい表面を布などで思いっきりこすってみると、表面に吹く白い粉が取れ、ピカピカ輝く黒ダイヤに大変身すること。 これはお守りにするしかない。
(京都府立大学客員教授・京都府立植物園名誉園長 松谷 茂)
平成27年10月1日