糺の森コラムColumn

Vol.8

糺の森に眠る遺跡

京都市内には平安京跡をはじめとして約八〇〇箇所の遺跡がある。私の所属する(公財)京都市埋蔵文化財研究所はこうした遺跡の発掘調査に携わっている。平安京跡では京都に都が置かれてから一二〇〇年以上にわたって営まれた人々の生活の痕跡が、時代ごとに積み重なって発見される。ところが賀茂御祖神社(下鴨神社)、糺の森の発掘調査では平安京を通じて培われた調査の常識は通用しなかった。
二〇〇四~六年に奈良の小川の南側で実施した調査では、地面を掘り込んでこぶし大の礫を敷きつめて基礎とし、上面を土砂で固めた平安時代の土壇が見つかった〔写真1〕。その上面や周辺には、小石を集めた遺構〔写真2〕や土器(かわらけ)を埋納した遺構〔写真3〕が随所に見つかった。しかも、それらは平安時代のものから近世のものまでが混在していた。当初、これらの遺構がどのような性格であるのか全くわからなかった。その後、ほかの神社の調査例や新木宮司の助言から、祭祀にかかわる遺構であるらしいことが分かってきた。現在、発見した土壇は奈良の小川や泉川に面した祀壇であり、集石遺構や土師器埋納遺構は平安時代から近世まで行われた祭祀の跡と理解している。

 

[1] 祭壇遺構:こぶし大の礫を敷きつめた上に土をかぶせて形成されている。

 

[2] 集石遺構:祭壇上を浅く堀窪め、石を円形に並べている。

 

[3]土師器埋納遺構:祭壇状を浅く堀窪め、土師器や小石を納めている。


発掘調査で行われる考古学の手法は、地面に刻まれた人の痕跡(遺構)と残された器物(遺物)から人の営みを探ることを目的としている。そこでは建物や井戸など生活に密着した遺構は理解しやすい。ところが糺の森の調査のように精神活動に基づいた遺構や遺物を理解するのは難しい。とくに神社で行われる祭祀は口伝であることが多いため、文書のような記録類が少ないこともそれに拍車をかけている。ともあれ何とか性格を明らかにすることができたこの遺跡は現在復元整備され、自由に見学することができる。
一方、糺の森の南部、河合神社の北側には神宮寺の池と伝わる窪みがある。近年その周辺を発掘調査している。二〇一五年の調査では地表下わずか一〇㎝ほどの深さで、江戸時代の神宮寺(神社に付属するお寺)に伴う建物や井戸〔写真4・5〕などが見つかった。幸いにもこちらは江戸時代の絵図面が残されていたため、遺構の復元は比較的容易に行えた。ところが調査の過程で新たな事実が判明した。江戸時代の建物の基盤となっている層に平安時代後期の土器が大量に混じっていることが確認され、さらにその周辺では平安時代後期の瓦も大量に出土することもわかった〔写真6〕。つまり、江戸時代の神宮寺の基盤は平安時代から受け継がれたものだったのである。

[4]神宮寺跡:観音堂と推測される建物跡

 

[5]神宮寺の井戸跡:井戸の下部は鎌倉時代までさかのぼる

 

[6]神宮寺跡:神宮寺南西部で見つかった建物跡。周辺の瓦は平安時代のもの。

 

非日常的空間である糺の森には、それにふさわしい遺跡が眠っている。「祈りの遺跡」とでも言えようか。そこには古代から近代あるいは現代まで脈々と受け継がれた祭祀の姿が残されている。

 

((公財)京都市埋蔵文化財研究所 調査課長 吉崎 伸)

平成28年3月31日

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