糺の森コラムColumn

Vol.12

人の顔を輝かせる聖地・糺の森

◇幸福感と健康を与える森

昨年大阪大学の大竹文雄教授が、神社の周辺で育った人は、人を信頼し恩を返したいと考える傾向が強く、労をいとわず人助けをしようとする志向が見られ、それに伴う行動が幸福感や健康にも、良い影響を与えるという研究成果を発表された。

その影響を受けると思われる位置に、我が家は少なくとも江戸時代からある。糺の森に鎮座する摂社河合神社の真西に当り、下鴨本通を挟んだ松原町にある。大正昭和の郷土史家である田中緑紅が叢書「京の町名のいわれ」で、神館御所のあった所であり、葵祭の時、斎王が先ず此所に入って、新服に改め、本宮に参る処で、小さい森があり、ここを小松原と呼んでおり、町名が松原町となったと記している。森から20メートルの距離、森との付き合い200年以上を考えると、正しく鎮守の森の恩恵を肌で感じる。

 

明治の馬場(小松所蔵)

 

 

◇我が家の森の入口『御成図子』

丁度、森側社家町の家並が途切れる、森本町南端に「御成図子」という東西の小さな道があった。その西入口に我が家がある。遠くは有事に御所をお守りする、北面の武士の家柄であったと聞かされている。

本通側は石垣が組まれて、現在は通れなくなっているが、江戸時代や明治の絵図にも、描かれている由緒ある道である。森へ参進できる図子小道は「御幸路」「神事道」「祭場野道」などがあり、現在も残っている。どの小道も用途によって本宮に参進したであろうと

推察できる。遷宮関連事業の一環として、森に今年再興される「斎王神霊社」がお祀りされる際に、唯一姿を消したこの「御成道」という小道を、再現出来ないものかと思う。

子供の頃は、毎日というほどこの小道を通って、森に遊びに行った。この小道から、古馬場を通って本宮にも行けるし、まっすぐ進むと、雨の日にはまだ泉が湧いていた(新)糺池にも行ける。さらに小さな石橋を渡ると、現在流鏑馬が行なわれている馬場にも出られる。この糺池周辺を歩くと、子供の頃の楽しい虫捕りやボーイスカウト活動が脳裏に甦り、自然と笑みがこぼれる。ここの神宿るムクの大木のファンは、私の知る知識人や芸術家に多い。

◇森の広告大看板

この御成図子のすぐ南側に、現在3枚の写真大看板(北から流鏑馬・糺の森鳥瞰図・葵祭)が立っている。最近この前に、多くの観光バスが停車して、その宣伝効果は抜群だと感じる。是非あと2枚加えて欲しい。1枚は御蔭祭のもの、もう1枚は足つけ神事の御手洗祭のもの。2年前から下鴨本通の祭巡行で、この前を通る時、参列者からの要望が多い。また神社の代表的な神事の一つとなっている御手洗祭も、同様に色んな人々から看板が欲しいと聞く。我が家の中からこの大看板を観ると、賀茂御祖神社(下鴨神社)のご加護を実感できる。

 

(新)糺池でのフォーラムH20(小松所蔵)

 

 

◇関西ラグビーの聖地の森

昨年5月、ラグビーワールドカップ2019日本大会組合せ抽選会当日、出場国のヘッドコーチらを歓迎する為に、馬場にある「第一蹴の地」の石碑前で、蹴鞠保存会として蹴鞠を披露した。この石碑横には神魂命(かんたまのみこと)をお祀りしている『雑太社』が鎮座している。明治43年にこの馬場で、旧制三高生が慶応義塾生と一緒に、関西で初めてラグビーボールを蹴ったことを記念して、昭和44年に石碑が立てられた。いわば関西ラグビー発祥の地ということになる。

当時は、仮宮が建っていたが、昨年11月に日本ラグビー協会役員として、森善朗元総理大臣や東洋人初のラグビー殿堂入りを果たした世界のサカタこと坂田好弘氏が参列され、厳粛に遷座奉祝祭が斎行された。「魂」が「玉」に通じるということで、球技の神が御座す森というラグビー界の精神的な聖地の森になった。W杯開催に向けて、益々参拝者で賑わい、神様もお慶びになられることだろう。

 

ラクビーワールドカップ2019抽選会日蹴鞠奉納(下鴨神社提供)

 

 

◇糺の森をぶらりぶらり

人の顔を輝かせる力が漲る糺の森は、訪れる人々の心を魅了していく。糺の森を、ぶらりぶらり散歩すれば、きっと森に御座す神の存在を、身近に感じて頂けるものと信じている。彌栄

 

(下鴨神社総代・下鴨神社京都学問所理事 小松 明)

平成30年3月31日

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